東南海地震の被害情報

東南海地震の被害情報

東南海地震の規模は、気象庁のデータによるとマグニチュード 7.9 だと推定されています。

 

当時のデータや、近年の研究から、震源域は直線上に広範囲に及んだと思われます。

 

愛知県三河湾南沖周辺から、和歌山県串本町の南東沖あたりにある「南海トラフ」と平行した線の上にある地域で東南海地震は発生したと見られます。

 

1940年代半ばあたりでは、このような大規模地震がずっと発生していて、2年後、1946年12月21日に昭和南海地震が発生しました。

 

 

当時、日本は大東亜戦争の最中でした。

 

軍需工場に地震被害が及んだことなど、日本にとって不利な情報が敵国に流れることをきらい、軍部は情報を統制しています。

 

また翌、8日が真珠湾攻撃3周年それでもあったため、戦意高揚になる報道以外は一層統制されていました。

 

当時の新聞も、地震情報は、1面にはならず、最下のほうに数行程度しか掲載されませんでした。

 

内容も、被害は大したことは弱いとか、一気に復旧可能などの旨が掲載されていました。

 

地震がもたらした実際の被害と報道はものすごく違っていたと言えます。

 

 

その上、まさに地震で被害を受けた国民にも、被害のことは話さないようにと命令が出ていました。

 

戦時統制に基づいてそれぞれの住民に行政側から通達が行ったそうです。

 

その中の実例で、学徒動員されて、半田市の飛行機の工場ではたらく少女の場合、友人が崩れた屋根の下敷きになって死んでしまったのにもかかわらず、被害状況を必ずしも他言しないように言われました。

 

 

 

東南海地震の被害情報続き

この東南海地震、その被害を他言することは、スパイ行為に等しいと、工場で働いていた少女たちは、当時の教師から指示されました
自分も死にかけた上、友人が死んでしまったのに、国からの情報統制のため、きっと儚く悔しい思いをしたことだと思います。

 

ですが、戦時中ということもあり、このような統制は、当たり前のように存在したのでしょうね。

 

今となっては考えられないことです。

 

 

そこまで、被害状況を他言することを、厳しく細く住民に通達したこの日本軍の情報統制はエライのでしょうか?
いや、実際には世界各国の震度計において、地震は観測され、記録されていました。

 

ですから、日本が隠そうとした地震は、海外では確実に把握されてしまったのです。

 

あれだけの巨大地震ですから、日本以外で観測患うのは、考えてみたら当然のことでしょうね。

 

 

翌日、アメリカの主要紙においては、日本で大地震が発生したことが掲載されていました。

 

中けれども、ニューヨークタイムズでは、「地球が6時間にわたって揺れて世界中の観測所が、破壊的だと表現した」と掲載しています。

 

新聞の時折「日本の中央部で大地震」と見出しを書いたものもありました。

 

当然、敵であるアメリカは、この地震被害による心理戦として「ドラゴーンキャンペーン作戦」として、宣伝のビラを投下する作戦を実行したそうです。

 

また、この東南海地震で発生した津波の被害の資料となった、アメリカの偵察写真も残されています。

 

このように日本軍の情報統制とは、裏腹に連合国側は状況把握していたということですね。

 

 

 

東南海地震の被害

1944年の東南海地震は、人的被害が大きかった巨大地震です。

 

地震によって、数多くの家屋の倒壊したことをはじめ、地震直後の津波によって、三重県、愛知県、静岡県で、推定1223名の死者、行方不明者が出ました。

 

1944年12月7日、13時35分に地震発生、その直後の津波では震源域に近かった尾鷲市を中心として、熊野灘沿岸一帯が壊滅されました。

 

津波は三重県、和歌山県沿岸で一番良い波が観測され、波高は新鹿で6から8メートルでした。

 

また、賀田で7.1メートル、錦で6メートル、勝浦で4から5メートルでした。

 

この東南海地震の最大波高は、尾鷲市賀田地区での9メートルでした。

 

残念ことに、津波の第一波が襲った後に、荷物などを取りに家に戻った人が多く、その際に、津波の第二波に巻き込まれたケースが多かったです。

 

地震自体の被害より、そうして後に来る津波の被害も、巨大地震では甚大なのです。

 

 

この地震、御前崎では地震の約5分後に海水が退いたそうです。

 

みなさんもご存知のとおり、海水が退くのは、津波の前兆ですよね。

 

これを知っている人は、海水が引いたとたん、避難するでしょう。

 

 

そうして、地震後40分で第一波が来ました。

 

その後も、14時50分、15時0分、そして、15時半、16時17分と五回も津波が発生しました。

 

何より高かったのは、3回目の15時ごろに発生した津波でした。

 

また、熊野灘では、地震発生後、10分から20分くらいで津波が到達したと言われています。

 

 

 

東南海地震の被害続き

そうして地震による津波は、一回ではないことはわかりますよね。

 

先ず津波が来たからと言って、安心して、家に戻ってはいけないということです。

 

 

では、この東南海地震の産業被害はどれくらいだったのでしょうか?
被害地域はでかいに渡りました。

 

名古屋市を中心とした地域は、当時、三菱重工業の工場や、中島飛行機の工場などがありました。

 

航空機産業の中心となっていた存在だったので、この地震で軍用機の生産は、大きな被害を受けてしまいました。

 

このことで軍が被害を隠し、情報統制したのですね。

 

また、鉄道の被害も甚大で、東海道線は掛川から西側で大きな被害を受けたほか、太田川周辺においては、貨もの列車が脱線し転覆、出火したと記録されています。

 

 

さて、東南海地震の発生直前、静岡県掛川市で、プレスリップの現象が見られました。

 

これは、東京帝国大学の今村氏によって観測されたものです。

 

プレスリップ、みなさんはご存知でしょうか?
英語で、pre-slipと書きます。

 

ご存知の通り、スリップは滑るという意味ですよね。

 

これは、大きな地震が発生する時、震源となるたけ断層の破壊を事前に誘導するミクロ割れ目、これを形成する地震のことです。

 

この割れ目が出来る地震をプレスリップと呼びます。

 

別名で「前兆すべり」とも呼ばれています。

 

本震の前兆と言われていますが、注目しているポイントが、「破壊核の形成」ですので、前震とは異なるものだと考えられています。

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